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乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

乃木希典伝(3)―軍人として―

  1. 軍人として
    1. 報国隊の結成と四境戦争への従軍
    2. 迷走――将来への不安――
    3. 陸軍少佐に任官

軍人として

報国隊の結成と四境戦争への従軍

源三は,元治2年(1864年),集童場時代の友人らと盟約状を交わし,長府藩の青年武士たちが結成を目論んでいた戦闘部隊への参加を誓いました*1

この戦闘部隊が,「長府藩報国隊」です。

報国隊は,青年武士や源三たち集童場の生徒らを中核とし、元治元年(1864年)2月14日,彼らの自主的な団結を長府藩が容認する形で結成され,以後,戊辰戦争を戦っていくことになります*2

慶応元年(1865年),四境戦争(第二次長州征伐)が始まります。

源三は,同年4月,萩から長府へ呼び戻されました。
源三は,自ら参加を誓った長府藩報国隊に属し,山砲一門を受け持つ部隊を率いて小倉口の戦闘に加わり,奇兵隊山縣有朋指揮下において戦いました。
この際,源三は,小倉城一番乗りの武功を挙げたといわれます*3

四境戦争参戦後の慶応2年(1866年),源三は,長府藩の命に従って明倫館文学寮に復学しました。
復学したといっても,再び報国隊に所属して戦地に赴くことが予想されていました。

しかし,復学した源三は,講堂で相撲を取った際,左足を挫いてしまいました。
そのため,越後方面へと転戦した報国隊に加わることができなかったのです*4

源三は,慶応4年(1868)1月,報国隊の漢学助教となりました。

他方,このころの報国隊は,越後方面での激戦を経て実戦経験豊富な戦闘部隊となり,隊士たちは各地を転戦して一体感を強めていました。
そうした報国隊の隊士たちは,戦争に参加しなかった源三を見下し,まともに教えを請おうとはしませんでした。

源三は,屈辱に耐えかねたのか,漢学助教の職を辞して上京しました*5

迷走――将来への不安――

上京した源三は,従兄弟であり報国隊隊長であった御堀耕助を訪ね,御堀の従者としてでもよいからヨーロッパへ留学させて欲しいと 懇願しました。
洋行(海外留学)し,あくまで学問の道で身を立てようとしていたのでしょう。

しかし,御堀は,従者になってでも留学したいという源三の考えを卑屈であると非難しました。
その上で御堀は,留学したいのであれば自力で達成するよう述べるとともに,これからは武力が必要となる時代であるから軍人になるよう源三に勧めました。
この御堀の忠告によって,源三は軍人になることを決意しました*6

源三は,慶応4年(1868年)11月,藩命によって伏見御親兵兵営に入営し,山内長人からフランス式訓練法を学びました*7*8
この藩命は,御堀が周旋したものとみられています*9

なお,同時期、京都二条の仏式伝習所には,後に日露戦争でともに戦うこととなる児玉源太郎がいました。

源三は,明治3年(1870年)1月,山口藩で起こった反乱鎮圧のため一時帰藩した後,2月に帰営し,訓練に励みました。
その後、各兵営で訓練を受けた源三たちは「教導隊」と命名され、大阪城内玉造に新築された宿舎に移りました。
京都二条で訓練を受けた児玉たちは「第一教導隊」,伏見で訓練を受けた源三たちは「第二教導隊」とされました*10

ところが,明治3年4月,源三は除隊を望むようになります。
「教導隊出身者は下士官にしかなれない」
という噂が飛び交ったからです。

果たして噂は本当で,明治3年4月3日に布告された「兵学令」において,教導隊が下士官養成を目的とすることが明確化されました*11

源三は,教導隊を除隊して沼津兵学校へ移ることを希望しますが,除隊の許可が下りず*12,引き続き教導隊に所属し,明治3年7月には京都河東御親兵練武掛となりました。

明治3年6月以降,教導隊の隊員たちは教導隊を次々と卒業していきました。
児玉源太郎は六等下士官になるなど,卒業した隊員たちは次々と任官しました。
他方,源三は任官しないまま,12月23日,藩命により帰藩し,明治4年(1871年)1月10日,豊浦藩(旧・長府藩)の陸軍練兵教官となり,御親兵や鎮台兵の訓練にあたりました*13

陸軍少佐に任官

やや不遇な境遇にあった源三ですが,転機が訪れます。
明治4年(1971年)11月23日,源三は,陸軍少佐に任官して,東京鎮台第二分営に配属されたのです*14

弱冠22歳の源三が少佐に任官したことは異例でした。
この大抜擢は,源三が御堀耕助を通じて黒田清隆と知り合ったことが関係しているといわれます。

源三は,少佐任官を大変喜びました。
後に源三(乃木希典)は,少佐任官の日を回想して,「わしの生涯で何より愉快 じゃったのはこの日じゃ」と述べたほどです*15

なお,源三は,このころから豪酒豪遊するようになり,放蕩生活が始まります*16

乃木『希典』の誕生」に続く。
(1)から(13)まで通読したい場合には,「乃木希典伝(全)」へ。

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参考文献

  1. 大濱徹也『乃木希典』(講談社講談社学術文庫>,2010年)
  2. 岡田幹彦『乃木希典――高貴なる明治』(展転社,2001年)
  3. 桑原嶽『名将 乃木希典――司馬遼太郎の誤りを正す(第5版)』(中央乃木会,2005年)
  4. 桑原嶽『乃木希典日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』(PHP研究所<PHP新書>,2016年)
  5. 小堀桂一郎『乃木将軍の御生涯とその精神――東京乃木神社御祭神九十年祭記念講演録』(国書刊行会,2003年)
  6. 佐々木英昭乃木希典――予は諸君の子弟を殺したり――』(ミネルヴァ書房,2005年)
  7. 司馬遼太郎坂の上の雲(4)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年a)
  8. 司馬遼太郎坂の上の雲(5)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年b)
  9. 司馬遼太郎『殉死(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,2009年)
  10. 戸川幸夫『人間 乃木希典』(学陽書房,2000年)
  11. 徳見光三『長府藩報国隊史』(長門地方資料研究所,1966年)
  12. 中西輝政乃木希典――日本人への警醒』(国書刊行会,2010年)
  13. 乃木神社・中央乃木會監修『いのち燃ゆ――乃木大将の生涯』(近代出版社,2009年)
  14. 半藤一利ほか『歴代陸軍大将全覧 明治篇』(中央公論新社中公新書ラクレ>,2009年)
  15. 福田和也乃木希典』(文藝春秋<文春文庫>,2007年)
  16. 長南政義『新資料による日露戦争陸戦史~覆される通説~』(並木書房,2015年)
  17. 別宮暖朗『旅順攻防戦の真実――乃木司令部は無能ではなかった』(PHP研究所<PHP文庫>,2006年)
  18. 別宮暖朗日露戦争陸戦の研究』(筑摩書房<ちくま文庫>,2011年)
  19. 松下芳男『乃木希典人物叢書 新装版)』(吉川弘文館,1985年)
  20. 柳生悦子『史話 まぼろしの陸軍兵学寮』(六興出版,1983年)
  21. 学習研究社編集『日露戦争――陸海軍,進撃と苦闘の五百日(歴史群像シリーズ24)』(学習研究社,1991年)

*1:佐々木[2005]123頁

*2:徳見[1966]67頁以下

*3:中西[2010]13頁

*4:大濱[2010]33頁,半藤ら[2009]176頁

*5:岡田[2001]26頁

*6:岡田[2001],26~27頁

*7:大濱[2010]34頁

*8:柳生[1983]208頁

*9:福田[2007]63頁以下

*10:柳生209頁

*11:柳生[1983]212頁

*12:柳生[1983]212頁

*13:大濱[2010]35頁以下,佐々木[2005]430頁

*14:大濱[2010]36頁以下

*15:岡田[2001]27頁,大濱[2010]39頁,福田[2007]66頁

*16:岡田[2001]28頁