乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

乃木希典伝(6)――豹変・人生の一大転機――

  1. 放蕩生活の中での結婚
  2. ドイツ留学
  3. 帰国後の豹変

放蕩生活の中での結婚

西南戦争の後,希典の放蕩がより一層激しくなりました。
自宅にいるよりも料亭にいる時間の方が長いといわれるほどでした。

こうした希典の放蕩ぶりは「乃木の豪遊」として有名になりました*1

そんな放蕩三昧の希典でしたが,明治11年(1878年)10月27日,お七と結婚しました。
希典の母が結婚をしきりに勧めても希典は乗り気でなく,冗談だったのか,

薩摩*2の女なら結婚しましょう。

と言ったところ,本当に薩摩の女性・お七との縁談を持ってこられて結婚した,という話もあります。

ともかく,希典はお七と結婚。新居を東京・虎ノ門(東京都港区虎ノ門1丁目22番地)に新居を構えました。乃木希典は,放蕩三昧の生活を送った。それは,静子と結婚しても収まらなかった。しかし,希典は,ドイツ留学後,突如として従前の生活を改めた。質素な暮らしに徹した。頻繁に出入りしていた茶屋にも全く行かなくなった。希典はその理由を生涯語らなかった。画像は虎ノ門に建てられた「乃木将軍所縁之地」の石碑

そして,この際,お七は静子と改名し,「乃木静子」となりました。

しかし,希典は,刻限になっても祝言の席に現れません。
風采優美な偉丈夫として花柳界に知られていた希典は,料理茶屋に入り浸って遅刻したのです。

前途多難な家庭生活を容易に予想させる船出でしたが,明治12年(1979年)8月28日には長男・乃木勝典が生まれました。

また,明治14年(1881年)12月16日には次男・乃木保典が生まれました*3

しかし,希典の放蕩生活は続きました*4

ドイツ留学

希典は,明治16年(1883年)2月5日,東京鎮台参謀長に任じられました。
さらに,明治18年(1885年)5月21日には少将に昇進して,歩兵第11旅団長となりました*5。 そして,希典は,明治20年(1887年)1月,日本政府の命により,川上操六とともにドイツ帝国へ留学することになり,明治21年(1888年)6月10日までドイツに滞在しました*6
希典たちは,ドイツ軍参謀総長ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケから参謀大尉・デュフェーを紹介され,彼から『野外要務令』に基づく講義を受けました。
また,希典は,ベルリン近郊の近衛軍に属して,ドイツ陸軍の全貌について学びました*7

なお,ドイツ留学中,希典は森鴎外とも親交を深めました。
その交友関係は,終生続くこととなります*8

帰国後の豹変

帰国した希典は,帰国後,復命書を大山巌に提出しました。
復命書は,作成名義こそ川上と希典の連名になっていますが,帰国後に川上が病気になったため,希典がほぼ単独で作成しました。

この復命書は,厳正な軍紀を維持するための軍人教育の重要性を説くもので,軍服の重要性についても力説されていました*9
また,『将校は現場の実務に就いて昇進していくべきである』という人事論も展開されていました*10

ドイツの先進的な軍事理論を持ち帰ってくると期待していたであろう軍中央は,この復命書の内容に落胆したかも知れません。
少なくとも『よくやった。これからは,我が軍もこのとおりにいこう。』とはなりませんでした。

そんな他者の反応にはお構いなしに,帰国後の希典は,復命書に記載した理想的軍人を体現する人物に豹変しました*11

まず,留学前は盛んに行っていた料理茶屋通いをぱったりと止め,芸妓が出る宴会には出席しないようになりました。
また,稗を食べるなど質素な生活に徹し,常に軍服を着用するようになりました*12

希典は,このように豹変した理由を尋ねられても,

感ずるところあり。

と述べるだけで,詳しい理由を明かそうとはしなかったといいます*13

?

希典の豹変にドイツ留学(又はその時期の出来事)が関わっていることは間違いないと思われますが,その真相は,もはや明らかにする術もありません。

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日清戦争での活躍」に続く。
(1)から(13)まで通読したい場合には,「乃木希典伝(全)」へ。

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参考文献

  1. 大濱徹也『乃木希典』(講談社講談社学術文庫>,2010年)
  2. 岡田幹彦『乃木希典――高貴なる明治』(展転社,2001年)
  3. 桑原嶽『名将 乃木希典――司馬遼太郎の誤りを正す(第5版)』(中央乃木会,2005年)
  4. 桑原嶽『乃木希典日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』(PHP研究所<PHP新書>,2016年)
  5. 小堀桂一郎『乃木将軍の御生涯とその精神――東京乃木神社御祭神九十年祭記念講演録』(国書刊行会,2003年)
  6. 佐々木英昭乃木希典――予は諸君の子弟を殺したり――』(ミネルヴァ書房,2005年)
  7. 司馬遼太郎坂の上の雲(4)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年a)
  8. 司馬遼太郎坂の上の雲(5)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年b)
  9. 司馬遼太郎『殉死(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,2009年)
  10. 戸川幸夫『人間 乃木希典』(学陽書房,2000年)
  11. 徳見光三『長府藩報国隊史』(長門地方資料研究所,1966年)
  12. 中西輝政乃木希典――日本人への警醒』(国書刊行会,2010年)
  13. 乃木神社・中央乃木會監修『いのち燃ゆ――乃木大将の生涯』(近代出版社,2009年)
  14. 半藤一利ほか『歴代陸軍大将全覧 明治篇』(中央公論新社中公新書ラクレ>,2009年)
  15. 福田和也乃木希典』(文藝春秋<文春文庫>,2007年)
  16. 長南政義『新資料による日露戦争陸戦史~覆される通説~』(並木書房,2015年)
  17. 別宮暖朗『旅順攻防戦の真実――乃木司令部は無能ではなかった』(PHP研究所<PHP文庫>,2006年)
  18. 別宮暖朗日露戦争陸戦の研究』(筑摩書房<ちくま文庫>,2011年)
  19. 松下芳男『乃木希典人物叢書 新装版)』(吉川弘文館,1985年)
  20. 柳生悦子『史話 まぼろしの陸軍兵学寮』(六興出版,1983年)
  21. 学習研究社編集『日露戦争――陸海軍,進撃と苦闘の五百日(歴史群像シリーズ24)』(学習研究社,1991年)

*1:大濱[2010]89頁以下参照。

*2:希典の出身である長府藩と,その主家である長州藩のライバルであって,当時,薩摩と長州の結婚には相当な拒絶反応がありました。

*3:佐々木[2005]431頁

*4:佐々木[2005]89頁以下,122頁以下参照。

*5:佐々木2005,431頁

*6:佐々木[2005]431頁

*7:大濱[2010]104頁以下参照。

*8:大濱[2010]107頁参照。

*9:大濱[2010]108頁以下,福田[2007]102頁以下参照。

*10:岡田[2001]61頁参照

*11:大濱[2010]111頁以下参照。

*12:特に軍服の着用について,佐々木[2005]201頁以下参照。

*13:岡田[2001]65頁参照。