乃木希典伝(7)―休職から日清戦争へ―
日清戦争での活躍
左遷,休職,「農人・乃木」
希典は,帰国後,第11旅団に帰任し,明治22年(1889年)には近衛歩兵第2旅団長に就任しました。
そして,翌明治23年(1890年),名古屋の歩兵第5旅団長に任じられました。
近衛の旅団長を務めた後は師団長に就くのが通常です。
従って,奈古屋歩兵第5旅団長への異動は,明らかな左遷でした*1。
この左遷人事は,一武人として生きる希典の存在を疎ましく思った桂太郎の意向が働いたと謂われます*2。
明治24年(1891年),その桂太郎が歩兵第5旅団の属する第3師団の師団長に就任しました。
希典は,この人事に反発します。
桂とそりが合わないこともありますが,それだけではありません。
前線指揮官を務めたことのない*3桂を師団長に就任させるという人事は,希典がドイツ留学後に提出した復命書における提言*4と相反するものであったからです。
自身(と自身が提出した復命書)が軍中央部から軽んじられていると感じたためでしょうか。
希典は,明治25年(1892年),病気を理由に休職に入りました。
2度目の休職でした*5。
休職中の希典は,東京に妻子を残し,栃木県・那須野に購入した土地で農業に勤しみました*6。
その後も希典は度々休職することになりますが,その度に那須野で農業に従事しました。
そうした希典の姿は「農人・乃木」といわれました*7。
復職し,日清戦争で活躍する。
明治25年(1892年)12月8日,希典は10か月の休職を経て復職し,第1師団に属する歩兵第1旅団長となりました*8。
この復職は,希典を下野させておくのは陸軍の損失であると考えた陸軍中将・山地元治が,自身が率いる第1師団において希典を復職させたいと山縣有朋に掛け合った結果でした*9。
程なくして日清戦争が始まります。
希典は,明治27年(1894年)10月,大山巌が率いる第2軍に属して中国大陸へと出征しました*10。
希典率いる歩兵第1旅団は,明治27年(1894年)9月24日に東京を出発。
広島を経て宇品を出航し,同年10月24日,遼東半島に上陸。
そして,同年11月以降,破頭山,金州,産国及び和尚島において戦いました。
1度目の旅順要塞攻略
希典(歩兵第1旅団)は,同年11月24日,旅順要塞を攻撃しました。
旅順要塞は,清が西洋人技師を使って築城させたもので,清は「難攻不落」と豪語していました。
旅順要塞を守る清国軍は約1万2000人。
対する日本軍は約1万数千人。
攻める側は守る側よりも多くの兵力を要するというのが攻城戦・要塞攻略の常識です。
ほぼ同数の兵力で,「難攻不落」と言われる要塞を攻撃する日本軍の作戦は無謀とも思われました。
ところが,日本軍は,わずか1日で旅順を陥落させてしまいました*11*12。
この成功体験は強烈で,後の日露戦争における旅順攻囲戦にも影響を与えた可能性があります。
日清戦争の終結と「名将・乃木希典」の栄達
翌明治28年(1895年),希典は,蓋平,太平山,営口及び田庄台において戦いました。
このうち,蓋平において,希典は,日本の第1軍(司令官は,あの桂太郎)に属する第3師団を包囲した清国軍を撃破するという武功を挙げました。
この戦闘によって希典の武名は高まり,
将軍の右に出る者なし
といわれるほどの評価を受けました*13。
この時点において,希典は間違いなく「名将」でした。
希典は,日清戦争が終結する間際の明治28年4月5日,中将に昇進し,仙台市に本営を置く第2師団の師団長に就任しました*14。
また,明治28年8月20日には男爵に叙せられ,華族となりました*15。
「台湾総督・四度目の休職」に続く。
(1)から(13)まで通読したい場合には,「乃木希典伝(全)」へ。
参考文献
- 大濱徹也『乃木希典』(講談社<講談社学術文庫>,2010年)
- 岡田幹彦『乃木希典――高貴なる明治』(展転社,2001年)
- 桑原嶽『名将 乃木希典――司馬遼太郎の誤りを正す(第5版)』(中央乃木会,2005年)
- 桑原嶽『乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』(PHP研究所<PHP新書>,2016年)
- 小堀桂一郎『乃木将軍の御生涯とその精神――東京乃木神社御祭神九十年祭記念講演録』(国書刊行会,2003年)
- 佐々木英昭『乃木希典――予は諸君の子弟を殺したり――』(ミネルヴァ書房,2005年)
- 司馬遼太郎『坂の上の雲(4)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年a)
- 司馬遼太郎『坂の上の雲(5)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年b)
- 司馬遼太郎『殉死(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,2009年)
- 戸川幸夫『人間 乃木希典』(学陽書房,2000年)
- 徳見光三『長府藩報国隊史』(長門地方資料研究所,1966年)
- 中西輝政『乃木希典――日本人への警醒』(国書刊行会,2010年)
- 乃木神社・中央乃木會監修『いのち燃ゆ――乃木大将の生涯』(近代出版社,2009年)
- 半藤一利ほか『歴代陸軍大将全覧 明治篇』(中央公論新社<中公新書ラクレ>,2009年)
- 福田和也『乃木希典』(文藝春秋<文春文庫>,2007年)
- 長南政義『新資料による日露戦争陸戦史~覆される通説~』(並木書房,2015年)
- 別宮暖朗『旅順攻防戦の真実――乃木司令部は無能ではなかった』(PHP研究所<PHP文庫>,2006年)
- 別宮暖朗『日露戦争陸戦の研究』(筑摩書房<ちくま文庫>,2011年)
- 松下芳男『乃木希典(人物叢書 新装版)』(吉川弘文館,1985年)
- 柳生悦子『史話 まぼろしの陸軍兵学寮』(六興出版,1983年)
- 学習研究社編集『日露戦争――陸海軍,進撃と苦闘の五百日(歴史群像シリーズ24)』(学習研究社,1991年)