読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

乃木希典伝(13)―殉死―

  1. 裕仁親王らとの別れ
  2. 自刃
  3. 殉死に対する社会の反応
  4. 相次ぐ乃木神社の建立

殉死

裕仁親王らとの別れ

希典は,大正元年(1912年)9月10日,迪宮裕仁親王明治天皇の孫たちに対して,山鹿素行『中朝事実』*1及び三宅観瀾『中興鑑言』*2を手渡し,熟読するよう言い聞かせました。

裕仁親王は,当時10歳でした。

裕仁親王は,希典の様子に尋常ならざるものを感じ,「閣下はどこかへ行かれるのですか」とお尋ねになられましたが,希典は答えをはぐらかしました*3

自刃

希典は,大正元年(1912年)9月13日,明治天皇大葬が行われた日の午後8時ころ,妻・静とともに自害し,明治天皇に殉死しました*4

乃木夫妻の検視を行った警視庁警察医員・岩田凡平は,遺体の状況等について詳細な報告書を残しています。
岩田は,同報告書中の「検案ノ要領」の項目において,希典と静子が自刃した状況につき,以下のように推測して書き残しました*5

  • 希典は,大正元年9月13日午後7時40分ころ,居室において明治天皇御真影の下に正座し,日本軍刀によって,先ず,十文字に割腹した。妻・静が自害する様子を見届けた後,軍刀の柄を膝下に立て,剣先を前頸部にあてて,気道,食道,総頸動静脈,迷走神経及び第三頸椎左横突起を刺したままうつ伏せになり,絶命した。
  • 希典はあらかじめ殉死を覚悟し,殉死前日である12日夜,「遺言条々」を,殉死当日である13日に他の遺書や辞世等を作成し,自刃を断行した。
  • 静子は,希典の割腹と同時に,護身用の懐剣によって心臓を突き刺してそのままうつ伏せとなり,希典にやや遅れて絶命した。
  • 希典は,数通の遺書を残したが,そのうち「遺言条々」と題する遺書には,この度の自刃は西南戦争時に連隊旗を奪われた罪を償うものであることなどが記載されていた。

希典は,以下の辞世を残しました*6

神あがり?あがりましぬる?大君の?みあとはるかに?をろがみまつる
うつ志世を?神去りましゝ?大君乃?みあと志たひて?我はゆくなり

また,妻の静子は,次のような辞世を詠みました。

出でまして?かへります日の?なしときく?けふの御幸に?逢ふぞかなしき

なお,希典の遺書には,『遺書に記載されていない事柄については妻・静に尋ねよ』との記載があります(遺書の全文については,「『遺言条々』ーー乃木希典の遺言についてーー」を参照。)。
このことから,妻・静は殉死する予定ではなかったと推察されます*7

殉死に対する社会の反応

乃木夫妻の訃報は多数の日本国民を悲しませ,号外を手に道端で落涙する者もいました。

希典を慕っていた迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)は,訃報を聞くと,涙を浮かべ,
「ああ,残念なことである。」
とおっしゃって大きくため息をつかれたといいます*8

希典の訃報は,欧米諸国の新聞でも報道されました。

例えば,ニューヨーク・タイムズは,日露戦争の従軍記者であったリチャード・バリーの手による希典の伝記と希典が詠んだ漢詩を2面にわたって掲載しました*9

乃木夫妻の葬儀は,大正元年(1912年)9月18日に行われました。

葬儀には十数万の民衆が自発的に参列したことから「権威の命令なくして行われたる国民葬」ともいわれ,外国人が多数参列したことから「世界葬」ともいわれました*10

相次ぐ乃木神社の建立

希典の殉死を受け,読売新聞のコラム『銀座より』は,乃木神社の建立,乃木邸の保存,乃木邸がある東京市赤坂区新坂の名称を乃木坂へ改称すること等を提言しました。

その後,京都府山口県,栃木県,東京都,北海道など,日本の各地に乃木夫妻を祀った乃木神社が建立されました*11

ここで注目すべきは,国や軍が主導して乃木神社を建立し,「軍神」として利用したわけではないということです。

希典は,その死後,軍神としてだけでなく,人間としても慕われ続けていました。

ところが,太平洋戦争の敗戦と大日本帝国の瓦解による価値観の逆転によって希典を省みる人は少なくなり,司馬遼太郎による酷評によってその名声は地に落ち,現在,に至っています。

(完)

(1)から(13)まで通読したい場合には,「乃木希典伝(全)」へ。

目次へ戻る

参考文献

  1. 大濱徹也『乃木希典』(講談社講談社学術文庫>,2010年)
  2. 岡田幹彦『乃木希典――高貴なる明治』(展転社,2001年)
  3. 桑原嶽『名将 乃木希典――司馬遼太郎の誤りを正す(第5版)』(中央乃木会,2005年)
  4. 桑原嶽『乃木希典日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』(PHP研究所<PHP新書>,2016年)
  5. 小堀桂一郎『乃木将軍の御生涯とその精神――東京乃木神社御祭神九十年祭記念講演録』(国書刊行会,2003年)
  6. 佐々木英昭乃木希典――予は諸君の子弟を殺したり――』(ミネルヴァ書房,2005年)
  7. 司馬遼太郎坂の上の雲(4)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年a)
  8. 司馬遼太郎坂の上の雲(5)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年b)
  9. 司馬遼太郎『殉死(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,2009年)
  10. 戸川幸夫『人間 乃木希典』(学陽書房,2000年)
  11. 徳見光三『長府藩報国隊史』(長門地方資料研究所,1966年)
  12. 中西輝政乃木希典――日本人への警醒』(国書刊行会,2010年)
  13. 乃木神社・中央乃木會監修『いのち燃ゆ――乃木大将の生涯』(近代出版社,2009年)
  14. 半藤一利ほか『歴代陸軍大将全覧 明治篇』(中央公論新社中公新書ラクレ>,2009年)
  15. 福田和也乃木希典』(文藝春秋<文春文庫>,2007年)
  16. 長南政義『新資料による日露戦争陸戦史~覆される通説~』(並木書房,2015年)
  17. 別宮暖朗『旅順攻防戦の真実――乃木司令部は無能ではなかった』(PHP研究所<PHP文庫>,2006年)
  18. 別宮暖朗日露戦争陸戦の研究』(筑摩書房<ちくま文庫>,2011年)
  19. 松下芳男『乃木希典人物叢書 新装版)』(吉川弘文館,1985年)
  20. 柳生悦子『史話 まぼろしの陸軍兵学寮』(六興出版,1983年)
  21. 学習研究社編集『日露戦争――陸海軍,進撃と苦闘の五百日(歴史群像シリーズ24)』(学習研究社,1991年)

*1:江戸時代前期の儒学者軍学者である山鹿が寛文9年(1669年)に著しました。中華思想に染まった日本の風潮を批判し,長く絶えず続いてきた日本の皇室こそ貴ぶべきであり,中朝(中華)とは日本にこそ相応しいと説いた書物です。

*2:江戸時代中期の儒学者である三宅が天明4年(1784年)に著しました。いわゆる南朝正統を主張しつつも,後醍醐天皇に対しては批判的な書物です。

*3:岡田[2001]267~268頁

*4:岡田[2001]268頁

*5:大濱[2010]293頁,289頁以下,岡田[2001]269頁以下参照。

*6:大濱[2010]288頁,岡田[2001]268~269頁参照。

*7:大濱[2010]290頁参照。

*8:佐々木[2005]285頁以下

*9:佐々木[2005]287頁以下

*10:佐々木[2005]287頁参照。

*11:佐々木2005,251~252頁以下