乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

磯田道史『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』

司馬遼太郎は,明治時代は透きとおった,格調の高い精神で支えられたリアリズムの時代だといいます。

磯田道史『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』は,司馬のいうリアリズムを解説して,社会的,公共的に大きな場面での現実主義世のため人のためのリアリズムであり(本書126頁),明治のリアリズムは,官や国家に対する宗教性をおびた信頼を背景に,お国のため,日本国家のために産業を興すという形で現れたといいます(本書130頁)。

そして磯田は,司馬のリアリズムから『坂の上の雲』を読み解くと称して二人の人物を取り上げます。

秋山真之と,乃木希典です。

磯田の見立てでは,明治という時代を,司馬さんはこの秋山と乃木,二人の合成体としてとらえてこの不達のタイプの日本人がいて,明治という国家ができあがっている。それを見事に書き分けているのが,『坂の上の雲』だということです。

磯田は,秋山について,海外留学して研鑽し,非常に独創性のあるリアリズムを発揮し,「術力」概念をも生み出した合理的に戦力を考えるというリアリズムを備えた人と評価します(本書134頁~135頁)。

他方,乃木希典については,不合理なリアリズムの人とします(本書135頁)。

対する乃木は,自分は軍人だからといって,軍服を着たままベッドで寝続けるという不合理さをまとっていました。乃木の根底にあったのは,秋山と同じく格調高い公共性心ですが,その不合理なリアリズムでは戦争に勝てません。

第一の誤りは,乃木は旅順で極めて合理的に戦った事実を踏まえていない(知らない?)ことです。

乃木は合理的に主攻を選択し,望台を目指しました。

大本営から急かされてやむなく行った総攻撃が失敗すると,大本営の要請を無視して準備に時間をかける正攻法に転換しました。

新たな戦術も編み出しました。

第二の誤りは,乃木が旅順攻囲戦に勝ったことを無視していることです。

奉天会戦では,司令部に翻弄されながらも勝利に貢献しました。

司馬は小説を盛り上げるため,乃木の合理性を無視しました。

磯田は秋山真之との対比という自説を述べるため,乃木の合理性を無視しています。

203高地をはじめ旅順をめぐる攻防戦で,乃木は多くの将兵を死なせてしまいます。結果として日露戦争は日本の勝利に終わったため,乃木は「軍神」として伝説化するわけですが,「乃木凡将論」「乃木愚将論」もささやかれていました。それが決定的になったのは『坂の上の雲』によってでしょう。

乃木に十分な弾薬も情報も供給できなかったのは大本営です。攻撃を急かして失敗させたのも大本営です。司令部も旅順を軽視していました。乃木は,損害を出しながらも戦術を練り,旅順という近代要塞をを半年という短期間で落としました。第一次世界大戦における両陣営の将軍は,近代要塞を攻略できないこともしばしばでした。それににも関わらず,「損害が大きかった」ということを主たる根拠として乃木に責任を問い,旅順攻略の事実は無視してその功績を乃木に認めないのは,公平・公正なな評価とは言えません。

また,磯田は,司馬が乃木を「無能」と評した部分を引用した上で,次のように述べます。

ここには,司馬さん自身が体験した昭和陸軍につながる「暗部」に対する怒りと鋭い批判が込められています。司馬さんは乃木という,国民からはその「格調高く愚直な精神」を非常に愛された人物を通じて,明治のリアリズムの「暗」の部分を,しっかりと見つめているのです。

乃木は,旅順攻略中,大本営に対して常に弾薬の不足を訴えていました。
弾薬がないので「肉弾」で対応せよと述べたのは大本営でした。
乃木ではありません。
その乃木に「暗部」を見るのは,乃木をスケープゴートにすることにほかなりません。
乃木は,司馬の昭和陸軍に対する恨み・つらみのとばっちりを受け続けています。

なお,道田は,以下のように述べて「フォロー」をしていますが,結局のところ,日露戦争において乃木(及び第三軍司令部)は無能だったことを前提としています。

司馬さんは,乃木だけではなく,彼の下で作戦の指揮をとる幹部をまとめて「無能」と激しく非難します(もちろん,「司馬リテラシー」をもつ私たちは,この表現が日露戦争における役割という限定された意味であることを理解して読むべきです)。

この一文は本書の客観性・公平性・公正性をなんら示すものではありません。