乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

乃木希典伝(2)―学問の道へ―

目次

  1. 学問への道
    1. 学者を志す。
    2. 出奔して玉木家へ
    3. 明倫館文学寮に入学
  2. 参考文献

学問の道へ

学者を志す。

無人は,文久2年(1862年)12月,元服して名を「源三」と改めました。

それから2年経った1864年(元治元年)3月,源三は一大決心をします。
武士としてではなく,学者として身を立てることを決心したのです。

源三は,その決意を父・希次に打ち明けました。
すると,源三の告白に対して,希次は猛烈に反対しました*1
これに対して,源三は思い切った行動に出ました。
玉木文之進へ弟子入りするため,家出をしたのです。

出奔して玉木家へ

玉木文之進は,松下村塾の創設者です。
吉田松陰の叔父であり,師匠でもあります。
そして,玉木家は乃木家の分家であり,玉木文之進と希次とは友人でした。

そこで源三は,縁故を頼って玉木文之進へ弟子入りすることを決意し,希次の承諾はもちろん,玉木の同意も得ないまま,長府(現在の下関市)から玉木が住む萩へ押しかけたのです。

しかし,玉木は,源三が父・希次の許しを得ることなく出奔したことを責めました。
さらに,玉木は,「武士にならないのであれば農民になれ」と言い,源三の弟子入りを拒否しました。

学者の夢を否定された源三は落胆しました。
しかし,玉木の妻の取りなしで玉木家に住み込むことを許され,農作業を手伝うこととなりました*2
そのうちに源三は,次第に学問の手ほどきを受けることを許されるようになりました*3

明倫館文学寮に入学

源三は,1865年(慶応元年),長州藩の藩校である明倫館の文学寮に入学しました。
念願の学者への道が開けたことになります。

その一方で,源三は,同年11月から一刀流剣術も学び始め,後に目録を伝授されました*4

軍人として」に続く。
(1)から(13)まで通読したい場合には,「乃木希典伝(全)」へ。

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参考文献

  1. 大濱徹也『乃木希典』(講談社講談社学術文庫>,2010年)
  2. 岡田幹彦『乃木希典――高貴なる明治』(展転社,2001年)
  3. 桑原嶽『名将 乃木希典――司馬遼太郎の誤りを正す(第5版)』(中央乃木会,2005年)
  4. 桑原嶽『乃木希典日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』(PHP研究所<PHP新書>,2016年)
  5. 小堀桂一郎『乃木将軍の御生涯とその精神――東京乃木神社御祭神九十年祭記念講演録』(国書刊行会,2003年)
  6. 佐々木英昭乃木希典――予は諸君の子弟を殺したり――』(ミネルヴァ書房,2005年)
  7. 司馬遼太郎坂の上の雲(4)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年a)
  8. 司馬遼太郎坂の上の雲(5)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年b)
  9. 司馬遼太郎『殉死(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,2009年)
  10. 戸川幸夫『人間 乃木希典』(学陽書房,2000年)
  11. 徳見光三『長府藩報国隊史』(長門地方資料研究所,1966年)
  12. 中西輝政乃木希典――日本人への警醒』(国書刊行会,2010年)
  13. 乃木神社・中央乃木會監修『いのち燃ゆ――乃木大将の生涯』(近代出版社,2009年)
  14. 半藤一利ほか『歴代陸軍大将全覧 明治篇』(中央公論新社中公新書ラクレ>,2009年)
  15. 福田和也乃木希典』(文藝春秋<文春文庫>,2007年)
  16. 長南政義『新資料による日露戦争陸戦史~覆される通説~』(並木書房,2015年)
  17. 別宮暖朗『旅順攻防戦の真実――乃木司令部は無能ではなかった』(PHP研究所<PHP文庫>,2006年)
  18. 別宮暖朗日露戦争陸戦の研究』(筑摩書房<ちくま文庫>,2011年)
  19. 松下芳男『乃木希典人物叢書 新装版)』(吉川弘文館,1985年)
  20. 柳生悦子『史話 まぼろしの陸軍兵学寮』(六興出版,1983年)
  21. 学習研究社編集『日露戦争――陸海軍,進撃と苦闘の五百日(歴史群像シリーズ24)』(学習研究社,1991年)

*1:希次が激しく反対した理由には,乃木家の由来が大きくかかわっていると思われます。希次が武芸を磨き,それが藩主の目にとまったため,本来は医者の家である乃木家の希次が武士に取り立てられたという経緯です。こうした経緯から,希次は,生粋の武家以上に「武士」に対するこだわりがあったと思われます。そうした「武士」へのこだわりが,学者を目指そうとする源三への猛反対に繋がったのではないでしょうか。なお,生粋の武士以上に武士らしくありたいという姿は,新選組にも見られます。

*2:希典は,帝国陸軍に属した後,休職を繰り返し,その都度,那須野の別邸に起居して農作業にいそしみました。その姿は「農人・乃木」と言われましたが,その原点は玉木家での農作業にあるのかも知れません。

*3:大濱[2010]25頁以下,福田[2007]50頁以下参照。

*4:大濱[2010]40頁,佐々木[2005]122頁以下参照。