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乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

乃木希典伝(8)―台湾総督・四度目の休職―

  1. 台湾総督就任――統治失敗――
  2. 第11師団長就任――善通寺師団――
  3. 馬蹄銀分捕事件による休職

台湾総督就任――統治失敗――

日清戦争の結果締結された「下関条約」によって,日本は台湾を領有することになりました。
しかし,これを不服とする清国の官吏・住民は,湖広総督・張之洞らの助力も得て,明治28年(1895年)5月25日,台湾民主国の独立を宣言しました。

これを受けて,日本は,直ちに台湾征討のため台湾へ派兵しました。
このとき,希典率いる第2師団も増援として台湾へ派遣されました*1

希典率いる第2師団は,明治28年(1895年)9月12日,台湾に上陸し,同年10月11日以降,台南に向かって進軍し,台南に拠る台湾民主国大将軍・劉永福を敗走させました。
その後,希典は南部台湾司令官に任じられ,5か月ほど台南に駐留しました*2

明治29年(1896年)4月12日,希典率いる第2師団は台湾を発ち,仙台に凱旋しましたが,凱旋から半年ほど経過した同年10月14日,希典は台湾総督に任じられ,再度,台湾へと旅立ちました*3
このとき,希典は,台湾赴任にあたり,妻の静子及び母の壽子を伴いました。
希典に課せられた使命は,台湾の治安確立です*4
妻と母を伴ったところに,希典の不退転の決意が現れていました。

台湾総督・希典は,教育勅語の漢文訳を作成し,台湾島民の教育に取り組みました。
また,台湾現地人を行政機関に採用して,現地の旧慣を保護して施政に組み込むよう努力しました。
さらに,在台日本人に対しては,現地人の陵虐及び商取引の不正を戒め,台湾総督府の官吏についても質素と清廉を求めました*5

しかし,清廉潔白で質素倹約に励む希典の態度は,民政局長・曾根静夫ら配下の官吏との対立を招き,希典による台湾統治は不成功に終わります*6

明治30年(1897年)11月7日,希典は台湾総督を辞職しました。
辞職願に記載された辞職理由は,記憶力減退(亡失)による台湾総督の職務実行困難でした*7

希典による台湾統治は失敗であったと評価されています。
しかし,希典が官吏の綱紀粛正に努め自ら範を示したことは,後任の総督である児玉源太郎とこれを補佐した民政局長・後藤新平による台湾統治にとって大いに役立ち,台湾人の心を打ったという肯定的な評価もあります*8

第11師団長就任――善通寺師団――

希典は,明治31年(1898年)10月3日,約7か月の休職を経て復職し,香川県善通寺に新設された第11師団長に就任しました*9

台湾総督まで務めた希典にとって,師団長という職は役不足とも思われました。
川上操六は,希典に対し,いまさら師団長職は軽すぎないかと述べたこともあります。
これに対し,希典は,
『国軍の基礎は師団にあり,実兵を指揮することは重要かつ名誉なことである。』
と応じたといいます*10

希典は,第11師団を厳しく練兵しました。
ある連隊の軍紀が緩んでいると知れば,真夜中,その連隊の兵営を別の連隊を率いて取り囲んで急襲し,遊興にふけっていた将校を戒めるといった具合です*11

その一方で,希典は,彼らしい愛情を部下に示しました。
希典は,架橋演習を行う工兵隊を一兵卒と同様炎天下で見守ったり,軍旗祭では部下とともに軍歌を歌って行進したり,部下と苦楽を共にすることを常としたのです*12

馬蹄銀分捕事件による休職

明治34年(1901年)5月22日,馬蹄銀分捕事件*13が起きました。
この際,希典の部下である杉浦少佐にも嫌疑がかけられました。

結局,杉浦少佐は有罪とはなりませんでした。

しかし,希典は,部下の中から嫌疑者がでたことそれ自体に責任を感じ,休職を申し出て帰京しました。
ただし,表向きの休職理由は,リウマチでした*14

希典は,その生涯において計4回も休職しましたが,馬蹄銀分捕事件後の休職が最も長く,休職期間は2年9か月に及びました。

希典は,その休職中,栃木県那須野石林にあった別邸で農作業をして過ごしました。
農耕に勤しむ「農人・乃木」として過ごしたのです*15
それは,来たるべき困難に備えるため必要な時間だったのかも知れません。

日露戦争へ」に続く。
(1)から(13)まで通読したい場合には,「乃木希典伝(全)」へ。

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参考文献

  1. 大濱徹也『乃木希典』(講談社講談社学術文庫>,2010年)
  2. 岡田幹彦『乃木希典――高貴なる明治』(展転社,2001年)
  3. 桑原嶽『名将 乃木希典――司馬遼太郎の誤りを正す(第5版)』(中央乃木会,2005年)
  4. 桑原嶽『乃木希典日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』(PHP研究所<PHP新書>,2016年)
  5. 小堀桂一郎『乃木将軍の御生涯とその精神――東京乃木神社御祭神九十年祭記念講演録』(国書刊行会,2003年)
  6. 佐々木英昭乃木希典――予は諸君の子弟を殺したり――』(ミネルヴァ書房,2005年)
  7. 司馬遼太郎坂の上の雲(4)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年a)
  8. 司馬遼太郎坂の上の雲(5)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年b)
  9. 司馬遼太郎『殉死(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,2009年)
  10. 戸川幸夫『人間 乃木希典』(学陽書房,2000年)
  11. 徳見光三『長府藩報国隊史』(長門地方資料研究所,1966年)
  12. 中西輝政乃木希典――日本人への警醒』(国書刊行会,2010年)
  13. 乃木神社・中央乃木會監修『いのち燃ゆ――乃木大将の生涯』(近代出版社,2009年)
  14. 半藤一利ほか『歴代陸軍大将全覧 明治篇』(中央公論新社中公新書ラクレ>,2009年)
  15. 福田和也乃木希典』(文藝春秋<文春文庫>,2007年)
  16. 長南政義『新資料による日露戦争陸戦史~覆される通説~』(並木書房,2015年)
  17. 別宮暖朗『旅順攻防戦の真実――乃木司令部は無能ではなかった』(PHP研究所<PHP文庫>,2006年)
  18. 別宮暖朗日露戦争陸戦の研究』(筑摩書房<ちくま文庫>,2011年)
  19. 松下芳男『乃木希典人物叢書 新装版)』(吉川弘文館,1985年)
  20. 柳生悦子『史話 まぼろしの陸軍兵学寮』(六興出版,1983年)
  21. 学習研究社編集『日露戦争――陸海軍,進撃と苦闘の五百日(歴史群像シリーズ24)』(学習研究社,1991年)

*1:佐々木[2005]433頁参照

*2:松下[1960]97~98頁参照

*3:大濱[2010]118頁参照

*4:大濱[2010]119頁参照

*5:大濱[2010]121頁,松下[1960]112頁参照

*6:大濱[2010]123~124頁参照

*7:大濱[2010]126頁参照

*8:大濱[2010]126頁,松下[1960],115頁参照

*9:松下[1960]119~120頁参照

*10:岡田[2010]81頁参照

*11:岡田[2010]82頁参照

*12:岡田[2010]83~84頁参照

*13:義和団事件に際して日本軍が天津城を占領した際,第11師団歩兵第12連隊第3大隊の兵士が,分捕した馬蹄銀を横領した事件。大濱[2010]127頁参照。

*14:大濱[2010]127頁,松下[1960]126頁参照

*15:大濱[2010]128頁,佐々木[2005]96頁以下参照