乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

大正天皇と乃木希典

乃木希典は,明治天皇に対して強い忠誠心をもっていました。 信仰ともいうべき強い畏敬の念も抱いていました。 明治天皇も乃木を信頼していました。 迪宮裕仁*1親王(後の昭和天皇)の養育のため学習院院長に就任させ,御製の和歌を贈りました。 乃木の死を…

旅順攻囲戦時系列・戦死傷者数

目次 徐々に作成しています。平成28年12月時点において未完成。 旅順攻囲戦時系列 戦死傷者 旅順攻囲戦時系列 年月日時間出来事備考 明治37年(1904年) 6月 6日 塩大澳(遼東半島)に上陸。 26日 第三軍,旅順要塞を包囲。 7月 26日 第三…

今日は乃木希典の命日(2016年)

今日は,乃木希典の命日です。 明治天皇の大葬が行われた大正元年(1912年)9月13日午後8時,「遺言条々」を含む複数の遺言書を残して自刃しました。 当初は自分だけ自刃する予定でしたが,妻・静子もともに自刃しました。 今日,乃木希典自刃の日と…

『遺言条々』ーー乃木希典の遺言についてーー

概要 乃木希典は,明治天皇に殉じて自刃した際,「遺言条々」と題した遺言書を残しました。 以下に『遺言条々』の原文と現代語訳(試訳)を掲載しました。 原文は,乃木神社(東京都港区赤坂)が所蔵するものを基にしました。平仮名と片仮名とが混在していま…

旧乃木邸(東京・赤坂)

所在 乃木希典は,明治11年(1878年),静子との結婚を機に,東京・虎ノ門(東京都港区虎ノ門1丁目22番地)へ新居を構えました。 明治12年(1979年)8月28日には長男・乃木勝典が生まれます。 そして,その年の冬,赤坂区新坂町に転居しま…

桑原嶽『乃木希典と日露戦争の真実』(PHP新書)

桑原嶽『乃木希典と日露戦争の真実』(PHP新書,2016年)は,同『名将 乃木希典(第五版)』(中央乃 木会,2005年)を復刊したものです。 内容は,『名将~』と変わりません。 それでも,入手しやすくなったのは大変価値があることだと思います…

旅順攻囲戦――乃木希典は愚将か――

目次 軍人・乃木希典に対する評価 総論 本論考の構成 司馬遼太郎による乃木批判 「所詮は小説」,「小説に『反論』するのはおかしい」とは言えない。 フィクションに対する反論? 『坂の上の雲』は「フィクションをいっさい禁じて」書かれた。 無能論・愚将…

乃木希典伝(全)

乃木希典の伝記。 幼少期から殉死まで。 日露戦争(旅順・奉天)を始め,軍人としての事績を出典を明示しながら記述します。 乃木希典に対する評価(愚将か名将か凡将)の前提知識として。

乃木希典伝(13)―殉死―

裕仁親王らとの別れ 自刃 殉死に対する社会の反応 相次ぐ乃木神社の建立 殉死 裕仁親王らとの別れ 希典は,大正元年(1912年)9月10日,迪宮裕仁親王ら明治天皇の孫たちに対して,山鹿素行『中朝事実』*1及び三宅観瀾『中興鑑言』*2を手渡し,熟読す…

乃木希典伝(12)―学習院院長―

明治天皇による勅命 「乃木式」指導 「乃木院長」の評判 裕仁親王(昭和天皇)の養育 学習院院長 明治天皇による勅命 日露戦争終結からわずか8か月後の明治39年(1906年)7月23日,参謀総長であった児玉源太郎が急逝しました。 そこで,山縣有朋は…

乃木希典伝(11)―奉天会戦―

第三軍の任務 繞回――包囲殲滅―― 第三軍の猛進,総司令部に抑止さる 乃木の独断専行――露軍の退路遮断―― 凱旋――自責の英雄―― 世界の"NOGI" 奉天会戦での活躍と凱旋*1 第三軍の任務 旅順における日本軍の勝利によって,国際世論は日本の勝利を確信するとともに…

乃木希典伝(10)―旅順攻囲戦―

攻略難航――第1回総攻撃―― 「正攻法」の採用――第2回・第3回総攻撃―― 希典に対する非難 203高地攻撃と児玉源太郎の訪問 次男・保典の死 203高地占領 旅順陥落 水師営の会見 旅順攻囲戦 旅順攻囲戦における乃木希典の能力・評価については「旅順攻囲戦…

乃木希典伝(9)―日露戦争へ―

復職して第三軍司令官に就任 長男・勝典の死 金州城外,斜陽に立つ。 日露戦争へ 復職して第三軍司令官に就任 日本は,日清戦争後,朝鮮半島への進出を強め,同じく朝鮮半島を勢力下におこうとするロシア帝国と対立を深めていきました。 日本とロシアは外交…

乃木希典伝(8)―台湾総督・四度目の休職―

台湾総督就任――統治失敗―― 第11師団長就任――善通寺師団―― 馬蹄銀分捕事件による休職 台湾総督就任――統治失敗―― 日清戦争の結果締結された「下関条約」によって,日本は台湾を領有することになりました。 しかし,これを不服とする清国の官吏・住民は,湖広…

乃木希典伝(7)―休職から日清戦争へ―

左遷,休職,「農人・乃木」 復職し,日清戦争で活躍する。 1度目の旅順要塞攻略 日清戦争の終結と「名将・乃木希典」の栄達 日清戦争での活躍 左遷,休職,「農人・乃木」 希典は,帰国後,第11旅団に帰任し,明治22年(1889年)には近衛歩兵第2…

乃木希典伝(6)――豹変・人生の一大転機――

放蕩生活の中での結婚 ドイツ留学 帰国後の豹変 放蕩生活の中での結婚 西南戦争の後,希典の放蕩がより一層激しくなりました。 自宅にいるよりも料亭にいる時間の方が長いといわれるほどでした。 こうした希典の放蕩ぶりは「乃木の豪遊」として有名になりま…

乃木希典伝(5)―連隊旗喪失―

西南戦争――連隊旗喪失―― 連隊旗喪失 死地を求める希典 西南戦争――連隊旗喪失―― 連隊旗喪失 明治10年(1877年),西南戦争が勃発しました。 希典は,同年2月19日,第14連隊を率いて熊本城を救援すべく,まず久留米に入ります。 そして,熊本城へ向…

乃木希典伝(4)―乃木「希典」の誕生と活躍―

乃木「希典」の誕生 改名「希典」 秋月の乱を鎮圧 師・玉木の死 乃木「希典」の誕生 改名「希典」 源三は,明治4年(1871年)12月,名を「希典」と改めました*1。 ここに,「乃木希典」が誕生したのです。 希典は,東京鎮台第三分営大弐心得*2及び名…

乃木希典伝(3)―軍人として―

軍人として 報国隊の結成と四境戦争への従軍 迷走――将来への不安―― 陸軍少佐に任官 軍人として 報国隊の結成と四境戦争への従軍 源三は,元治2年(1864年),集童場時代の友人らと盟約状を交わし,長府藩の青年武士たちが結成を目論んでいた戦闘部隊へ…

乃木希典伝(2)―学問の道へ―

目次 学問への道 学者を志す。 出奔して玉木家へ 明倫館文学寮に入学 参考文献 学問の道へ 学者を志す。 無人は,文久2年(1862年)12月,元服して名を「源三」と改めました。 それから2年経った1864年(元治元年)3月,源三は一大決心をします…

乃木希典伝(1)―幼少期―

目次 幼少期 長府藩上屋敷で生まれる。 幼名「無人」 厳しい教育 長府へ下向・研鑽の日々 参考文献 幼少期 生い立ち 乃木希典(のぎ まれすけ)は,1849年(嘉永2年)12月25日,長門府中藩(長府藩)の上屋敷で生まれました。 父は乃木希次(のぎ …

「乃木希典 入門」について

主なエントリ 乃木希典伝 乃木希典の伝記です。 乃木希典伝(全) 「乃木希典伝」(1)から(13)までをまとめて,加筆・修正したものです。 乃木希典伝(1)ー幼少期ー 乃木希典伝(2)ー学問への道ー 乃木希典伝(3)ー軍人としてー 乃木希典伝(4…