乃木希典 入門

乃木希典の伝記。その生涯と評価について。

乃木希典について出典を明らかにしつつ書いています。

乃木希典の伝記:「乃木希典伝(全)

乃木希典の評価などに関する主な記事の一覧:「『乃木希典入門』について

乃木希典伝(1)―幼少期―

目次

  1. 幼少期
    1. 長府藩上屋敷で生まれる。
    2. 幼名「無人」
    3. 厳しい教育
    4. 長府へ下向・研鑽の日々
  2. 参考文献

幼少期

生い立ち

乃木希典のぎ まれすけは,1849年(嘉永2年)12月25日,長門府中藩(長府藩)の上屋敷で生まれました。

父は乃木希次のぎ まれつぐ
江戸詰の長府藩士(馬廻り)で,石高は80石(後に150石に加増)*1でした。
乃木家は元来、医者の家系でした。
武芸を磨く希次がの姿が藩主の目にとまり、武士として取り立てられたのです。
そのため,希次は,周囲よりも武士らしくあることを自らに要求しました。

母は乃木壽子のぎ ひさこです*2

幼名「無人」

希典の幼名は無人なきとでした。

この名前には,「無人」という縁起の悪い名前をつけ,かえって健康に成長するように,という願いが込められています*3
乃木家の長男及び次男は夭折しており、世継がいませんでした。
こうした願いは、当時の武士の家にとっては切実なものだったのです。

上述のように,希次は江戸詰の藩士でした。
よって,無人は10歳まで江戸(長府藩上屋敷)で生活しました。
この屋敷は,かつて赤穂浪士の一人である武林隆重(武林唯七)ら10名が切腹するまでの間預けられた場所でした*4

そうした縁から,希次は,無人に赤穂浪士の話をしばしば聞かせました。
これが、後の「乃木希典」の「武士道」の原点になったと思われます。

厳しい教育

無人は虚弱体質であり,臆病でした。
希次は、こうした希典に忸怩たる思いを抱いたのか、無人をあえて厳しく養育しました。

例えば,寒いと不平を言った希典に「寒いなら,暖かくなるようにしてやる。」と言って,井戸端で冷水をに浴びせかけるといった具合です*5*6

長府へ下向・研鑽の日々

希次は,安政5年(1858年)11月,長府への下向並びに閉門及び減俸を命じられました。
希次が藩主の跡目相続に関して建白し,藩主の不興を買ったことが原因でした。

乃木一家は,同年12月,長府へ転居しました*7

無人は,安政6年(1859年)4月,結城香崖に入門して,漢籍及び詩文を学びました。

また,万延元年(1860年)1月からは,流鏑馬,弓術,西洋流砲術,槍術及び剣術なども学び始め,文久2年(1862年)6月20日からは,集童場に入学して勉学に励みました。

このように、知識・教養を蓄えるのみならず、武芸にも研鑽した無人でしたが、依然として臆病・泣き虫で,妹にいじめられて泣くこともありました。
友人たちは、そうしたこうした無人に対し「無人はマコトに泣き人」と言ってからかいました*8

学問の道へ」に続く。
(1)から(13)まで通読したい場合には,「乃木希典伝(全)」へ。

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参考文献

  1. 大濱徹也『乃木希典』(講談社講談社学術文庫>,2010年)
  2. 岡田幹彦『乃木希典――高貴なる明治』(展転社,2001年)
  3. 桑原嶽『名将 乃木希典――司馬遼太郎の誤りを正す(第5版)』(中央乃木会,2005年)
  4. 桑原嶽『乃木希典日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』(PHP研究所<PHP新書>,2016年)
  5. 小堀桂一郎『乃木将軍の御生涯とその精神――東京乃木神社御祭神九十年祭記念講演録』(国書刊行会,2003年)
  6. 佐々木英昭乃木希典――予は諸君の子弟を殺したり――』(ミネルヴァ書房,2005年)
  7. 司馬遼太郎坂の上の雲(4)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年a)
  8. 司馬遼太郎坂の上の雲(5)(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,1999年b)
  9. 司馬遼太郎『殉死(新装版)』(文藝春秋<文春文庫>,2009年)
  10. 戸川幸夫『人間 乃木希典』(学陽書房,2000年)
  11. 徳見光三『長府藩報国隊史』(長門地方資料研究所,1966年)
  12. 中西輝政乃木希典――日本人への警醒』(国書刊行会,2010年)
  13. 乃木神社・中央乃木會監修『いのち燃ゆ――乃木大将の生涯』(近代出版社,2009年)
  14. 半藤一利ほか『歴代陸軍大将全覧 明治篇』(中央公論新社中公新書ラクレ>,2009年)
  15. 福田和也乃木希典』(文藝春秋<文春文庫>,2007年)
  16. 長南政義『新資料による日露戦争陸戦史~覆される通説~』(並木書房,2015年)
  17. 別宮暖朗『旅順攻防戦の真実――乃木司令部は無能ではなかった』(PHP研究所<PHP文庫>,2006年)
  18. 別宮暖朗日露戦争陸戦の研究』(筑摩書房<ちくま文庫>,2011年)
  19. 松下芳男『乃木希典人物叢書 新装版)』(吉川弘文館,1985年)
  20. 柳生悦子『史話 まぼろしの陸軍兵学寮』(六興出版,1983年)
  21. 学習研究社編集『日露戦争――陸海軍,進撃と苦闘の五百日(歴史群像シリーズ24)』(学習研究社,1991年)

*1:戸川[2000]8頁参照

*2:「壽子」ではなく「壽」であるとする文献もあります。佐々木[2005]40頁

*3:佐々木40頁[2005]

*4:佐々木[2005]41頁

*5:佐々木[2005]45~46頁参照。なお,現代の価値観から言えば,希次の行動は児童虐待でしょう。しかし,この逸話を現代の価値観に基づいて否定することも,現代の価値観を無視して現代に応用することも,いずれも無意味であり有害であると考えます。

*6:この逸話は昭和初期における「修身」の国定教科書にも掲載されるなどしており,かつては知らぬ者のない有名な話でした。佐々木[2005]45~46頁参照。

*7:佐々木[2005]44頁

*8:佐々木[2005]44頁

「乃木希典 入門」について

主なエントリ

乃木希典

乃木希典の伝記です。

乃木希典伝(全)

乃木希典伝」(1)から(13)までをまとめて,加筆・修正したものです。

  1. 乃木希典伝(1)ー幼少期ー
  2. 乃木希典伝(2)ー学問への道ー
  3. 乃木希典伝(3)ー軍人としてー
  4. 乃木希典伝(4)ー乃木「希典」の誕生と活躍ー
  5. 乃木希典伝(5)―連隊旗喪失―
  6. 乃木希典伝(6)―豹変―
  7. 乃木希典伝(7)―休職から日清戦争へ―
  8. 乃木希典伝(8)―台湾総督・四度目の休職―
  9. 乃木希典伝(9)―日露戦争へ―
  10. 乃木希典伝(10)―旅順攻囲戦―
  11. 乃木希典伝(11)―奉天会戦―
  12. 乃木希典伝(12)―学習院院長―
  13. 乃木希典伝(13)―殉死と世間の反応―

乃木希典

乃木希典に対する私の評価です。

  1. 旅順攻囲戦―乃木希典は愚将か―

乃木希典に対する本ブログのスタンス

私は乃木希典の生き方が好きです。
ですので,乃木希典に対する評価は好意的になりがちであると思います。
ただし,できる限り多くの文献にあたり,様々な観点を示せるようにしたいと思っています(「政治的公平」などあり得ないと考えています。)。

コメントなどの扱い

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私は研究者でも,著名人でもないので,論破したいだけの人はお帰り下さい。